Apr 06 2010
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“ 我々は、物事を偏見を持たないようにして見よう、と心がけている。しかし、そのようなことは現実には不可能なのだ。哲学的に言うと、主観は永遠に主観であり、客観というのは、客観的に見ようと意図した主観に過ぎないと言うことである。古典ギリシャ語には偏見と同義の言葉はない。逆に言えば、公正中立もまた存在しないのである。日本人はあたかも、公正中立、偏見を持たないこと、が存在するかのように考えているようだが、そんなものはないのである。古典ギリシャ語には、「好感的偏見」と「嫌悪感的偏見」という言葉ならあるそうだ。人間はこの二つの内、どちらかの偏見を持って物事に挑む。先入観や誤認もある。間違えて欲しくないのは、「人間は偏見を持っているのだから、偏見をもって物事に挑んでいいのだ」と言っているわけではない。「偏見を持っていることを計算に入れて、物事に挑むのがいい」と言っているのだ。